エミール・ガボリオ「ルルージュ事件」の感想

推理小説自体特別興味のあるジャンルではないので、実は未読だったのですが、世界初の長編推理小説と言われる本書が考えていた以上に面白かったので、感想を書きたいと思います。

最初に本書のあらすじを独自に書いてみます。

ラ・ジョンシェール村に住む未亡人、ルルージュ夫人が姿を見せなくなったことを不審に思った近所の婦人たちの訴えによりブージヴァルの警察署署長たちが彼女の家に入ってみると、灰に顔をうずめたルルージュ夫人の遺体を発見した。
予審判事のダビュロン氏の下警視庁の治安局長ジェヴロールと刑事ルコックに呼ばれた警察の協力者である素人探偵チロクレールことタバレの親父が競うように捜査を始める。タバレの卓越した推理力により事件の状況は解明されるが、謎のイヤリングの男の存在がちらつく中タバレは偶然息子のように思っている借家人ノエル・ジェルディから事件解決の手がかりを得る。
そして、資産家であり大貴族であるコマラン伯爵の嫡出子を巡る過去の出来事、そしてダビュロン自身の苦悩をも絡んだ事件の行方は思わぬ展開を迎えることになる。

さて、あとがきによると1866年に刊行された本書は1868年の「月長石」に二年先んじて世界初の長編推理小説になったとのことですが、1841年にアメリカの雑誌に掲載された探偵小説の嚆矢であるポーの短編「モルグ街の殺人」から大きく飛躍した面白さがあると思います。
最初はもう、ミッシングリンクがあるのではと思われるほどの差に感じました。
プロットは十分に練られていますし、推理をする部分の割合は少ないとは言え、ホームズが実践する科学的(というか一定の根拠に基づいた形の)推理を素人探偵のタバレが実践する点は後の推理小説に大きな影響を与えたということを肯かせるものがあります。
直感のような推理を行うデュパンよりもずっと洗練されたと言えるでしょう。
しかしながら、本書の面白さというのは探偵小説というジャンルの本流としての面白さではなく、ある大貴族が若気の過ちを発端にした悲劇を描くという、この時代によくありそうな一般小説に探偵小説の要素を組み込んだようなもので、あとがきにもありましたが「いくつかのテーマのなかのひとつとして探偵事件を扱った小説」の面白さだったと言えます。
このことは推理小説としてのトリックや推理方法がどんなに独創的で精巧なものであっても、小説として良くできていなければ読み物としては失格であることを証明していると言えますが、その点で当時新聞連載でかなりの人気を博したガボリオの筆力が優れていたことが分かります。
本書では「ルコック探偵」で有名なルコックは顔見せ程度のちょい役でしたが、有名な探偵であってもその過去やバックボーンが必ずしも描写されるとは限らない中、本書の探偵、チロクレールことタバレの親父は探偵となった理由がちゃんと描かれています。世のスーパー探偵は天才であるが故になんのために探偵をやっているのかさっぱりなところがありますが(その才能をひけらかして糧とするためか、自分の能力の限界を見極めるためか、いずれにせよそれだけでなく好奇心が勝って謎を解き明かすことに熱中すると自称するタイプが多い)、タバレの場合は好奇心が根底にあるのは変わらないとは言え、彼自身の数奇な運命によって探偵になったという理由が他の探偵より納得ができるものに感じました。
それだけでなく、このタバレはスーパー探偵ではないので、失敗もします。「わたしは大きな勘違いをしていました」とうそぶく名探偵の、話を盛り上げるための演出ではなく、本当の失敗です。しかし、個人的に気に入ったのは自分が間違っていたことを悟ると、すぐに反省し、今度は容疑者を救うために全力を上げるという点。好感度が上がりました。(失敗を悟る理由としてのアリバイの有無に関する点は少々矛盾していると思いましたけど)
推理小説としては偶然に頼る部分がかなり多く、前述の通りタバレの推理も前半で少し開陳された後は推理の要素はほとんどありません。そして、後半でタバレが犯人に行き着くのは力技とこれも偶然に頼ってのことですし、それ以前に推理小説の醍醐味たるカタルシスが得られるはずの真犯人が判明する瞬間もドラマチックなところがないので残念なところです。一般小説としても突っ込みどころが多々あることはあるので、逆に最後にもうひと捻りあるのではないかと期待して読んでしまいましたが、そういうことはありませんでした。
このように本格的な推理小説としては結構残念なところが多いですが、ワンアイディアで終らずに、大きな話のうねりの中で事件を描写しているという点で、世界初の推理小説という栄誉に恥じないでしょう。
犯人と事件の結末はある程度予想できるとは言え、その通りに進むのか分からないと思わせる展開と各登場人物のリンクと人物描写の妙により、どうなるのかハラハラする構成が高く評価できるのではないでしょうか。
「ルコック探偵」は子供の頃に抄訳で読んだので、内容は忘れてしまっていますが、ぜひもう一度読んでみたいと思わせる作品でした。古い小説に抵抗がない方にはお薦めです。

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