クリスティのミス・マープルものを年代順に全部読んでみた

前回設定がずさんで期待はずれのパオロ・バチガルピ「ねじまき少女」なんか読んでしまったために、口直しをする小説を探していました。
そこで、去年から今年にかけてクリスティ作品のいくつかが映像化された(「そして誰もいなくなった」(「アクロイド殺し」こと)「黒井戸殺し」やマープル役が出ないマープルもの)ことに刺激されてもいたので、久しぶりにクリスティを読んでみようかなと思いました。
「オリエント急行殺人事件」で意表を突かれ、「そして誰もいなくなった」で唖然とし、「アクロイド殺し」や「ABC殺人事件」でひっくり返った経験から、クリスティの作家としての技量は素晴らしい!本当に小説の醍醐味を感じさせてくれる作家だと常々思ってはいましたが、実は主要作品以外それほどたくさん読んでませんでした。
そこでこれまであまりマープルものは読んでいなかったので、既読の作品は飛ばして、できれば発表年代順に全部読んでみようかなと思いました。
ミス・マープルものの長編は「牧師館の殺人」から始まり、「スリーピング・マーダー」(実際は最後に書かれたミス・マープルものではないそうですが)で終わる全部で12冊。うち既読は「牧師館の殺人」「予告殺人」「スリーピング・マーダー」の三冊。残り9冊読むのはなかなか辛かったですが、元々クリスティの作品はサクサク読めるので、読むのが遅い自分としては割と早く読み終えたと思います。

各作品のあらすじは面倒なので、Amazonで読んでください。

さて、すべて読み終えた感想ですが、やっぱりクリスティは面白い。
こうなるとクリスティ作品をすべて読破したくなってしまいます。
まあ、実際はクリスティばかりも読んでいられないので、いつかは、ということになりますが、今回久しぶりに読んでみて改めてクリスティの才能に舌を巻きました。
ミス・マープルものは冒頭に書いた超有名な作品のような大技を繰り出すもの以外でも、読者の興味を引くツボを心得たストーリー、ミスリーディングで読者を惑わせる構成、ステレオタイプとはいえリアルに存在しそうな人物描写など、単純な推理小説の枠を超えたところでも人間を描く並々ならぬ力量があるのだな、と感じました。
特に一見犯人でないようでいて実は怪しさを振りまく多数の人物の配置とそれらの人物を手品のように人の目を欺いて動かす筋運びには舌を巻きます。さすがに「聖書とシェイクスピアの次に読まれている」と言われるだけありますね。
本当にクリスティが他の推理小説作家と差をつけるのはこの類まれな技量を天から授かったためとしか思えません。そうでなければ、長年に渡って多数の作品を書き続けることはできなかったでしょう。

特に面白いと感じたのは、以前に読んだ作品も含めると「牧師館の殺人」「書斎の死体」「ポケットにライ麦を」「復讐の女神」です。
他のものももちろん概ね面白かったのですが、ここで挙げたのは基本的にミス・マープルの登場シーンが多かったという特徴があります。
例外は「ポケットにライ麦を」ですね。
これは一、二位を争うくらいミス・マープル登場シーンが少ないですが、終わり方がなんだか「アルジャーノンに花束を」を思わせる悲哀を感じさせるものなので、叙情的に良かったです。
他はミス・マープル成分が多い作品で、「書斎の死体」は久しぶりにクリスティを読んだということも加味された上で上位ランクインです。
クリスティ作品のお勧めランキングではミス・マープルもの最上位に挙げられることが多い「予告殺人」は、確かにトリックなどはよくできているとは思うのですが、犯人の「犯人としての人物像」が素の犯人の人物像としっくり噛み合っていない気がして、自分としては評価はイマイチ高くありません。
反対に「復讐の女神」は自分としてはとても面白いと思ったのですが、お勧めランキングでは見かけません。なぜ?と言いたくなります。
全編ミス・マープルが活躍するという点もさることながら、この作品は「最初に探偵が自分の調査すべき事件を探さねばならない」という新機軸が素晴らしいと思うのです。
推理小説はあまり詳しい方ではありませんが、この「まず事件から探す」というのは(少なくとも当時は)他にないのではないでしょうか?
このような作品を作者が80歳の時に考えたとはとても思えません。
それに、ミス・マープルは一般に安楽椅子探偵と考えられ、通常事件の渦中にいることは少ない訳ですが、「復讐の女神」のように自らの命が狙われるのは初めてであるため、二重のサスペンス(事件自体を探すサスペンスとその事件を解決するサスペンス)に更に探偵が自身の命を狙われるというサスペンスが加わって、最後は絶対助かるとは思いつつ非常に緊迫感があります。
逆にその構成のために若干冗長になっている点は否めないかとは思いますが、最後に報酬を投資に使うよう勧める弁護士たちに対してミス・マープルが放つ名言とともに傑作のひとつとして称賛されてもいいと思うんですけどね。
日本語版Wikipediaを見ると本日現在「復讐の女神」のページすらない冷遇は納得がいきません。
自分でページを起こしたいくらいです。(でも、「復讐の女神」は「カリブ海の秘密」の続編なので2つとも書かないといけなくなりますね)

さて、ちょっと「復讐の女神」で熱くなりすぎましたが(笑)、今回読んだ中で唯一大きく不満を感じた作品を最後に書きたいと思います。
それは「バートラム・ホテルにて」。
これはミス・マープル成分が少ない以前に、ミス・マープルが探偵役ではないということ。
これはデイビー主任警部が主人公の作品であって、ミス・マープルはほぼ目撃者扱いです。
話の筋自体が面白くない訳ではありませんが、これでは「ミス・マープルもの」として扱うのはいかがなものかと思ってしまいました。
「スリーピング・マーダー」は以前読んでいたので、実質最終巻一個前でミス・マープル成分に飢えていた自分にとってはとても残念でした。
全体を通してミス・マープルは多くの作品で登場シーンが少ないのは確かですが、せめて最後にかっこよく事件を解決するのはミス・マープルであって欲しかったですね。

そして、今回書かれた年代順にミス・マープルものを通して読んでみて感じたのは、時の流れというのは誰にも止められないのだな、ということ。
ミス・マープルものはほぼ執筆時点と同時代の背景を使った作品を書いていると思われるのですが、イギリスの近代化の歴史がそのまま作品に映し出され、時に無情や哀愁を感じさせられました。本当は「牧師館の殺人」の頃の牧歌的なセント・メアリ・ミード村で時が止まっていたら、と思うのですが、ミス・マープルの住むこの村も容赦なく新興住宅地が建てられ、映画関係者などの新しい文化をまとった人間たちが住み始め、バントリー夫妻のゴシントン館は女優に売却されてしまいます。
ミス・マープルは徐々に歳はとっていきつつも、相変わらず好奇心に満ち溢れて事件を解決していきますが、舞台や事件の背景なども次第に近代的になっていく中で、バートラム・ホテルで懐旧の情にとらわれるのもやむを得ないでしょう。
このようにありありと時代の流れを感じ取れるのは、一冊としてまとまったガルシア・マルケスの「百年の孤独」や最近読んだ「緑の家」のような大河小説よりも、長い期間に渡って書かれたミス・マープルものの方がよりリアルだと思えました。
面白い作品から読んでいくのも良いですが、今回のように執筆順に読んでいくのも新しい発見があって良いものだと思いました。

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