カズオ・イシグロ 「日の名残り」と「わたしを離さないで」について

これまでにも何度か「わたしを離さないで」については言及していますが、ここで改めて整理する意味でカズオ・イシグロ作品について書きたいと思います。
とは言ってもこの2作品しか読んでいないのにお前が語るなよ、と言われてしまうと返す言葉もないのですが、あえて書きたいのはどうしても「わたしを離さないで」に納得がいかないからです。

映画化もされましたし、「わたしを離さないで」に一定の人気があることは知っています。
しかし、作品ばかりでなく、あの作品を良いと思う人まで私はどうしても理解できません。

※以下はネタバレを含みますので、知りたくない方は読むのをご遠慮ください。

「わたしを離さないで」はごく手短にあらすじを述べると、臓器移植のためだけに作られたクローン人間の少年少女たちがその死にゆく運命の中で一片の思い出にすがるという物語です。
そして、もう一作私が読んだイシグロ作品「日の名残り」はイギリスの老執事の自身と彼の主人の輝いていた時代の回想を伴った旅とその結末を描いた哀愁溢れる小説です。

発表順としては「日の名残り」が先で、僕が読んだ順番も同じです。
「日の名残り」はとても良いと思いました。
丁寧に描かれた執事の仕事(今となってはどれほど現実に近いかは判断できませんが)と、主人公がその自分の仕事に感じる誇りが、実に滑らかに(誰にでもできるような乱暴な変転の仕方でなく)逆転していく様子はペーソス溢れる筆とともに、ある意味村上春樹が失った孤独感伴う悲哀を感じさせて、これは村上作品の代わりに読み続けることができる作家かも知れないと思ったものでした。
村上作品は「ねじまき鳥クロニクル」辺り、もっと言えば「ノルウェイの森」くらいから変質してしまいました。その喪失感から僕としてはその穴を埋めてくれるものを求めていたので、「わたしを離さないで」はかなりの期待を込めて読み始めました。
しかし、期待は大きく裏切られました。
それは単純な失望というより混乱でした。
実はほぼ最後に近くなって僕は自分がページを大きく読み飛ばしたのではないかと前に戻って読み直してしまいました。
それくらいこの作品には重要な部分が抜けているのです。

抜けていることで設定が大きく矛盾し、作品の舞台が幼稚園のお遊戯会の書き割り以下のリアリティのない陳腐なものになってしまっています。
何が抜けているのかというと主人公たちが臓器提供をさだめられたその運命に叛逆や逃走を一切行おうとしないその理由です。
現実の人間のクローンなのですから、当然オリジナルがいる訳ですし、欠損のない完全な人間である彼らに感情がないとは思えないし、ロボトミー手術か洗脳教育でも受けたことを匂わせる記述もないのに、彼らは全く自分の運命を当然のごとくに受け入れます。期間を伸ばそうとはしますが、それ以上のことを全くしようとしません。普通の人間なら反乱を起こして然るべき状況なのにです。

こういった人間の生存本能と生きたいという感情を全く無視しているのに、作中ではわざわざ彼らに人間らしい教育を施そうとするし、あまつさえこの作品の柱は主人公たちの学生時代のほろ苦く切ない感情を描くところにあり、かつ多くの読者はそこに感動しているのです。
流石にこれだけ重要な部分が書かれていないのは書き忘れたとは思えず、意識的に削除しているのでしょうけど、自分の書きたい部分を書くだけの目的に臓器提供のクローンが完全に合法という社会を持ち出す必要がどこにあったのか?もっと相応しい舞台はいくらでも考え出せるはずです。
持ち出したなら持ち出したで、社会的背景や叛逆できない理由などが丁寧に描かれていれば別ですけど、そんな説明はありません。このような三流以下のSFも使わないような陳腐なプロットのどこが傑作なのか、頭の悪い私にどなたかちゃんと説明して欲しいと思います。

小説というものは原則人間を描くことだと思っていますが、ロボットのような人間が人間の真似をする姿に感動させようとし、また感動する人間がいることに唖然とせざるを得ないというのが正直な感想です。

第1版:2017/10/6 11:25

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