ジュノ・ディアス「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」感想

久しぶりに(比較的新しい)小説を読んだので感想など書きます。
この本を読んだのは何かの本で勧められていて、タイトルが印象に残っていたのでたまたま図書館にあるのを見つけて読み始めたのですが、最初は読みづらくて仕方ありませんでした。
得なくスペイン語のルビが多すぎるのです。ここで必要?と思えるような箇所でも、まるでスペイン語を読者に教育したいのではないかと思えるような頻繁さでルビが振ってあります。最初ウィリアム・ギブスン「ニューロマンサー」の黒丸尚に憧れてルビを振るのがカッコいいと勘違いしてるんじゃないかとも考えました。アレルギーを起こす人と絶賛する人と両極端に別れる黒丸訳ですが、僕はあの役は絶賛する立場とはいえ、これは受け入れられない、なんてクソ訳者だ!と心の中で叫び、読むのをやめたいとさえ思いました。

しかし、どうやら原著からして英語にスペイン語を混ぜているのではないかと思えてきて(実際解説を読むとそうらしい)、途中から諦めて受け入れました。でも、一つ思うのですが、これはルビを逆にした方がよかったのではないかと。日本語にスペイン語のカタカナがルビとして振ってありますが、スペイン語のカタカナに日本語のルビを振った方が現代的で逆に読むリズムを崩さないで済むのではないかなと愚考する次第です。まあ、僕なんかが言うことではないかも知れませんが。

さて、小説そのものの感想に移ります。
当初主人公オスカーがアメリカではオタク街道まっしぐらな人生を送っていたけれど故郷である独裁者の支配するドミニカへ乗り込んで政権に一泡吹かせると言う粗筋なのだと誤った刷り込みがなされていた僕にとってかなり意外な展開のストーリーでした。
実際の筋はアメリカで育った女の子と関係することを熱望する肥満児で日本でいうオタクのオスカー、元は名家の生まれでありながら悲惨な幼少期、無軌道な生活から独裁者トルヒーヨの側近の子を宿したことで殺されかけてアメリカへ渡った母ベリ、母への反発から一時やはり無軌道な生活になった姉ロラの人生がそれぞれ語られ、フクと呼ばれる呪いに見舞われたオスカーのその後の人生について語られるというものでした。
寓話的に独裁者に支配される南米の国の人々の運命について語られているのですが、最初の刷り込みのようなオスカーと政権との対立などは全くなく、主人公オスカーは徹底的に個人的な原理で人生を過ごします。
人々はただ「生きる」ということに忠実に行動しているだけですが、そこには南米の独裁国家に垂れ込めたいわく言いがたいものが影響して惨禍をもたらしている状況をフクという呪いによるものとして描いているのだと思いました。
ガルシア・マルケスに代表されるマジック・リアリズムという独特の魔術的な描き方は独裁者による統治によってもたらされるありえない状況を描写するために生み出されたスタイルなのかも知れないと今回初めて思えました。
一時かなり凝って読んだマルケス以外に南米・中南米の作家の作品は読んでいないのですが、マジック・リアリズム+ポップカルチャーというスタイルは新しいと思いました。ここでポップカルチャーが素材の一つとして使われている必然性は僕には分からないのですが、不思議な取り合わせとして新奇性があるのは事実です。
全体的な評価としては前述のルビの件で評価は多少損なわれてしまいますが、オスカーの人生よりもベリやロラが辿る人生の方がより強烈で読み応えがあります。年代記的な描き方、マジック・リアリズムのユニークさを考えるとマルケスの「百年の孤独」の後継的作品に感じられるものがありますが、作者は特に意識していなかったのだと思います。
おすすめ度合いとしては三段階で表現するとしたら2でしょうか?
僕個人としては再読も同じようなルビの多用があるとするとこの著者の他の作品も読みたいという気分にはなれませんが、個性的な作品を読みたいと思う方には良いと思います。

ただ、どちらが先でも良いとは思いますが、やはり圧巻のマルケス「百年の孤独」はぜひお薦めしたいと思います。

この作品も割合と好みが分かれるようですが、マコンドという架空の町のクロニクル、決して読まずには死ねない作品のひとつであると、僕としては断言したい長編です。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です